2010.06.1817:33
オールドでも乗り心地はいいわよ 吉野山ロープウエー(産経新聞)
【関西マニアック街道】
東京から大阪へ来て1年あまり。地元の人は「何だ」と思うかもしれないが、“異邦人”“マニア”にはたまらない穴場が、関西にはゴロゴロしている。そんな「マニアック街道」を歩いてみよう。
第1回は、桜で有名な吉野山(奈良県吉野町)に現存する日本最古のロープウエー、通称・吉野山ロープウエーがあるというので行ってみた。
大阪・阿部野橋から1時間半かけて近鉄吉野駅を降りると、駅前の観光案内所に、いきなり「ケーブルのりば」の文字=写真(1)。運営会社も「吉野大峯ケーブル自動車」だという。
えっ、ケーブルカー? ロープウエーじゃないの? 話が違うじゃないか。せっかく来たのに…と思いながら乗り場の「千本口駅」に向かう。
途中の観光案内図にはロープウエーの絵があるが、駅への入り口には再び「ケーブルのりば」の看板。いったいどっちなんだ。
やがて見えてきた駅の改札口の奥には、ケーブルカーでおなじみの階段状のホームが=写真(2)。やっぱりやられたか、と思いながら進むと、隣にロープウエーのゴンドラがあった=写真(3)。ホームにもケーブルカーの線路らしいものは見えず、一安心。
それにしてもなぜ「ケーブル」なのか。同社の内田英史社長によると、よく分からないが、戦前からこの名前だったそうだ。このころはあまり厳密な区別はつけなかったのだろうか。戦争中は「架空索道」と改名させられたそうだ。漢字の方が正確ではある。
ホームに立つと、レトロなデザインの鉄柱が見える=写真(4)。これは建設当時のもので、補修しながら使っている。「建設年月昭和3年5月」と書かれたプレート=写真(5)=が誇らしげだ。ちなみに開業は4年3月、今年で81周年を迎えた。
「鉄柱はさびが一番怖い」と内田社長。毎日の点検は欠かせない。太平洋戦争中の金属供出も、創設者の内田政男氏(内田英史社長の祖父)が抵抗してなんとか守ったそうだ。
ゴンドラは昭和41年製=写真(6)。さすがに戦前のゴンドラというわけにはいかなかったが、昭和のにおいのする内装、リベット打ちの外観=写真(7)、昔の電車を思わせる窓の開閉レバー=写真(8)=が懐かしい。ドアも傷だらけで、歴戦のつわものを思わせる。
外観はいま乗ってきた近鉄特急に似たオレンジとブルーの組み合わせだが、近鉄と資本関係はないという。ただ、「近鉄グループの近畿車輛が製造したので同じ色に塗ってもらった」(内田社長)ところが関西らしい。
ホームが階段状なので、ゴンドラの内部にも2段分の段差がある=写真(9)。現在のロープウエーなら水平ホーム、ゴンドラの床も水平のはず。内田社長によると、開業当時は、ケーブル(ロープ)を水平にしたり、一度ケーブルからゴンドラを外して水平のレールに載せるような技術がなく、斜めにケーブルが張られているため、ホームもゴンドラもこのような構造になったそうだ。
ブザーが鳴って、駅員?の制服を着たおばさん(失礼)が手動でドアを閉めるといよいよ出発だ。
古い割にショックは少なく、乗り心地はいい。向こうからゴンドラが来て、すれ違ったかと思うと吉野山駅に到着=写真(10)。距離にして349メートル、3分間の空中散歩はあっという間だった。
ここから急な階段を20メートルほど上がらないと吉野山のシンボル、金峯山寺への参道に出られない。
なぜ、こんな中途半端なところが終点なのか。
ロープウエーは社名のとおり吉野から、さらに大峯山寺付近までに延ばす計画があったらしい。そのためには、ここに駅があった方が延長しやすかったのだとという。実際に免許の申請もしていたそうだが、世界恐慌や、その後の戦時体制のなかで立ち消えになった。
吉野にとって延長がよかったかどうかは分からないが、実現していたら総距離21キロの日本最長のロープウエーになっていたはず。
今度は幻の長大ロープウエーを想像しながら、大峯山寺までの山道を歩いてみたい。(慶田久幸)
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第1回は、桜で有名な吉野山(奈良県吉野町)に現存する日本最古のロープウエー、通称・吉野山ロープウエーがあるというので行ってみた。
大阪・阿部野橋から1時間半かけて近鉄吉野駅を降りると、駅前の観光案内所に、いきなり「ケーブルのりば」の文字=写真(1)。運営会社も「吉野大峯ケーブル自動車」だという。
えっ、ケーブルカー? ロープウエーじゃないの? 話が違うじゃないか。せっかく来たのに…と思いながら乗り場の「千本口駅」に向かう。
途中の観光案内図にはロープウエーの絵があるが、駅への入り口には再び「ケーブルのりば」の看板。いったいどっちなんだ。
やがて見えてきた駅の改札口の奥には、ケーブルカーでおなじみの階段状のホームが=写真(2)。やっぱりやられたか、と思いながら進むと、隣にロープウエーのゴンドラがあった=写真(3)。ホームにもケーブルカーの線路らしいものは見えず、一安心。
それにしてもなぜ「ケーブル」なのか。同社の内田英史社長によると、よく分からないが、戦前からこの名前だったそうだ。このころはあまり厳密な区別はつけなかったのだろうか。戦争中は「架空索道」と改名させられたそうだ。漢字の方が正確ではある。
ホームに立つと、レトロなデザインの鉄柱が見える=写真(4)。これは建設当時のもので、補修しながら使っている。「建設年月昭和3年5月」と書かれたプレート=写真(5)=が誇らしげだ。ちなみに開業は4年3月、今年で81周年を迎えた。
「鉄柱はさびが一番怖い」と内田社長。毎日の点検は欠かせない。太平洋戦争中の金属供出も、創設者の内田政男氏(内田英史社長の祖父)が抵抗してなんとか守ったそうだ。
ゴンドラは昭和41年製=写真(6)。さすがに戦前のゴンドラというわけにはいかなかったが、昭和のにおいのする内装、リベット打ちの外観=写真(7)、昔の電車を思わせる窓の開閉レバー=写真(8)=が懐かしい。ドアも傷だらけで、歴戦のつわものを思わせる。
外観はいま乗ってきた近鉄特急に似たオレンジとブルーの組み合わせだが、近鉄と資本関係はないという。ただ、「近鉄グループの近畿車輛が製造したので同じ色に塗ってもらった」(内田社長)ところが関西らしい。
ホームが階段状なので、ゴンドラの内部にも2段分の段差がある=写真(9)。現在のロープウエーなら水平ホーム、ゴンドラの床も水平のはず。内田社長によると、開業当時は、ケーブル(ロープ)を水平にしたり、一度ケーブルからゴンドラを外して水平のレールに載せるような技術がなく、斜めにケーブルが張られているため、ホームもゴンドラもこのような構造になったそうだ。
ブザーが鳴って、駅員?の制服を着たおばさん(失礼)が手動でドアを閉めるといよいよ出発だ。
古い割にショックは少なく、乗り心地はいい。向こうからゴンドラが来て、すれ違ったかと思うと吉野山駅に到着=写真(10)。距離にして349メートル、3分間の空中散歩はあっという間だった。
ここから急な階段を20メートルほど上がらないと吉野山のシンボル、金峯山寺への参道に出られない。
なぜ、こんな中途半端なところが終点なのか。
ロープウエーは社名のとおり吉野から、さらに大峯山寺付近までに延ばす計画があったらしい。そのためには、ここに駅があった方が延長しやすかったのだとという。実際に免許の申請もしていたそうだが、世界恐慌や、その後の戦時体制のなかで立ち消えになった。
吉野にとって延長がよかったかどうかは分からないが、実現していたら総距離21キロの日本最長のロープウエーになっていたはず。
今度は幻の長大ロープウエーを想像しながら、大峯山寺までの山道を歩いてみたい。(慶田久幸)
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